AIコンヴィヴィアリティ3部作

――AIを「使う」から、AIと「関係を育てる」へ

ここにきてメディアがこぞってAIによる人類滅亡…とか言う陰謀論的な内容を実しやかに伝えています。それに便乗して声を大きくしている人たちもいたりして、いやはや感が拭えません。

生成AIが、あっという間に日常の中へ入ってきました。

文章を書く。
調べものをする。
画像をつくる。
プログラムを書く。
仕事を効率化する。

AIについて語るとき、どうしても「何ができるのか」「どれくらい便利なのか」という話になりがちです。

けれど、AIと毎日のように対話するようになって、だんだん別のことが気になるようになりました。

人とAIのあいだには、どんな関係が生まれるのだろう。

AIは単なる道具なのか。
それとも秘書なのか。
先生なのか。
相談相手なのか。
共同制作者なのか。

そして、その関係は、一度決めた役割のままではなく、人とAIが対話を重ねることで少しずつ変わっていくのではないか。

そこから考え始めたのが、私のいう

「AIコンヴィヴィアリティ」

です。

コンヴィヴィアリティという言葉には、「共に生きる」「自律しながら共生する」といった意味を込めています。

AIに人間が従うのでもない。
人間がAIを一方的に使役するだけでもない。

人とAIがそれぞれの役割を持ちながら、対話し、学び、創造し、関係そのものを育てていく。

そんな未来を考えるために書いてきたのが、現在の**「AIコンヴィヴィアリティ3部作」**です。

第1作『AIコンヴィヴィアリティ[増補改訂版]――人とAIとのパートナーシップを育てる時代へ』

第1作のテーマは、まず**「私とAI」**です。

ChatGPTをはじめとする生成AIを、単に命令を入力すると答えを返してくれる装置としてではなく、長く対話していく相手として考えてみる。

AIと一緒に文章を書く。
考えを整理する。
知らないことを調べる。
自分でも気づいていなかった問いを見つける。

そうした対話を重ねていくと、AIとの関係は少しずつ変化していきます。

毎回ゼロから質問する検索エンジンとは、どこか違う。

昨日までの対話が今日の対話につながり、今日の対話が明日の思考につながっていく。

そこで重要になるのが、AIを「人間そっくりの存在」にすることではありません。

むしろ、

人間とAIは違う存在だからこそ、一緒に考える意味がある。

そんな関係です。

この本では、生成AIとの対話だけでなく、PepperなどのフィジカルAIとの経験、学びの伴走者としてのAI、そして人とAIが共に育つ未来について考えています。

AIコンヴィヴィアリティの出発点となる一冊です。

第2作『AIコンヴィヴィアリティ2――法人・機関・学校、そして「まち」とAIの関係性設計』

第1作では「一人の人間とAI」の関係を考えました。

では、人ではなく、

会社だったら?
図書館だったら?
博物館だったら?
学校だったら?
役所だったら?
そして、まちだったら?

第2作では、AIコンヴィヴィアリティの考え方を、個人から社会へ広げています。

組織には、その組織ならではの記憶があります。

なぜこの仕事を始めたのか。
過去にどんな判断をしたのか。
誰が何を担当してきたのか。
どんな失敗をして、何を学んだのか。

ところが、人が退職したり異動したりすると、その知識のかなりの部分が失われてしまいます。

地域も同じです。

昔の写真。
郷土資料。
新聞。
議事録。
聞き書き。
イベントのチラシ。
人々の記憶。

それらは存在していても、互いにつながっていなければ、地域の知として十分に生かすことができません。

ここにAIが加わったらどうなるでしょう。

AIが地域の歴史を記憶し、資料同士を結びつけ、人々からの問いに答える。

ただし、AIが「まちの人格」になるわけではありません。

地域の資料や仕事や対話を支える、いわば公共的な知性として存在する。

私はそこから、

「まちAI」

という考え方へ進んでいきました。

AIを導入するのではなく、
AIとの関係を設計する。

それが第2作の大きなテーマです。

第3作『AIコンヴィヴィアリティ3――学習パートナーとしてのAI』

そして3作目では、もう一度「人」に戻ってきます。

ただし、第1作とは少し違います。

テーマは、

「AIと一緒に学ぶとはどういうことか」

です。

AIが登場すると、

「もう覚えなくてもいいのではないか」
「レポートはAIに書かせればいいのではないか」
「検索する必要もなくなるのではないか」

という話が出てきます。

でも、私はむしろ逆だと考えています。

AI時代だからこそ、

何を知りたいのか。
何を確かめたいのか。
何と何を結びつけたいのか。

という人間側の問いが重要になります。

AIは大量の情報を扱うことができます。

しかし、

AIは記憶主体にはなり得ても、学習主体は人である。

AIが何かを教えてくれたとしても、「わかった」と感じ、世界の見え方が変わるのは人間です。

図書館で本を探す。
デジタルアーカイブを調べる。
フィールドワークへ出かける。
地域の人に話を聞く。
ものをつくる。
実験する。

そして、その途中にAIがいる。

先生の代わりではなく、
答えを出す機械でもなく、
学習パートナーとしてのAIです。

第3作では、AI、図書館、デジタルアーカイブ、地域文化、STEAM教育、自然災害、未来社会など、一見すると別々に見えるテーマをひとつの世界の中でつないでいます。

それは、私自身がAIと対話しながら学んできた風景そのものでもあります。

3冊を並べてみると

改めて3冊を並べてみると、このシリーズが少しずつ広がってきたことがわかります。

第1作は、

人とAI。

第2作は、

組織・地域とAI。

第3作は、

学びとAI。

つまり、

「私とAI」から始まり、
「社会とAI」へ広がり、
もう一度「人はAIとどう学ぶのか」へ戻ってくる。

そんな3部作になりました。

最初から3部作として設計していたわけではありません。

AIと対話し、実際に使い、考え、試しているうちに、問いが次の問いを生み、その結果として3冊になった、というほうが近いと思います。

その意味では、この本そのものがAIコンヴィヴィアリティの実験記録でもあります。

「AIに何をさせるか」から、「AIと何を育てるか」へ

生成AIの進歩は、これからも続くでしょう。

性能は上がり、できることも増えていくはずです。

けれど、どれだけAIが高性能になっても、最後に残る問いは案外シンプルなのかもしれません。

私たちは、そのAIとどんな関係を築きたいのか。

便利な道具として使うのもひとつ。

仕事の相棒にするのもひとつ。

学びのパートナーにすることもできる。

地域の記憶を支える存在として育てることもできる。

だから私は、AIについて考えるとき、

「AIに何をさせるか」

だけではなく、

「AIと一緒に、何を育てていくのか」

を考えてみたいと思っています。

AIコンヴィヴィアリティ3部作は、その問いを考えるための3冊です。

AIの未来を予言する本というよりも、

人とAIの関係を、これから自分たちでつくっていくための本。

そんなふうに読んでいただけたらと思います。

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